夜の散歩と甘いもの

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このところいろいろともやもやと

色々とモヤモヤなどといっても何がなんだかよくわからないが、

とにかく晴れより曇り、喜びよりかなしみ、そういう憂き目をみることが多くて、

どうにも心の行き方がうまく行かない。

そういうとき家にいるとどうしてもあれこれ余計のことを考えてしまうから、時遅くても少し着込んで夜の闇に溶込んでゆく。

一体夜の散歩というのは特別なものだと思う。

とはいっても日本人の感覚としては朝昼夕晩しかないのだから、それぞれがそれなりに特別だとは思うけれど、それぞれがそれなりに意味を持っているように思う。

僕は早朝の散歩も好きだ。昼も好きだ。

夕方はさみしいからあまり好きじゃない。

 

気分の落ち込んでいる時は早く寝た方がいいし、朝あれこれしたり、歩いたりするほうが健全だと思う。

けれど夜のほとんど誰も通らぬひんやりした道を微かに光る星や、見えたり見えなかったりする月を見ながら歩くと心の重荷がすうっと抜けて行く気がする。

夜は落ち着いている。

 

生活の基礎をつくる上で、夜寝て朝早く起きることにまさるやりかたはない。

夜出歩くなら朝出歩こう。でも夜の散歩はほとんど嗜好品の様に、常用すべきではないが、ほどよくたしなむことで日々に変化をつける。

僕はこのブログでいくら伝わっているか、食生活にかなり気をつかっているが、たまの夜の散歩でコンビニによって店内をふらふらし、甘いものでも買ってまた闇夜に消えるのも下品な楽しみである。

 

甘いものといえば、僕は普段砂糖はなるべくとらないように心がけているが、やはりこれもコーヒーなどと同じく嗜好品としては最高のもので、たまに洋菓子など食べるとその魅力に改めて驚かされる。

ほとんど麻薬的である。

僕は相変わらず新聞を読んだり、手紙を書くのに喫茶店に座るのだが、今度ケーキが評判の店へ入ってみた。

昼炊いた飯を食べ、それから少し歩いて昼下がりその店へ入った。

店は喫茶と洋菓子店がくっついたもののようで、喫茶とは別にショーケースというのか、ケーキ屋部分もあった。そこでケーキを選んで、コーヒーと一緒に注文する。

ケーキはすでに出来たものだからすぐ運ばれてきて、その後コーヒーも出される。

クリームをスポンジでつつんで、粉砂糖がまぶしてある。

一口食べると、ものすごい甘さが口中を満たす。甘すぎる。

それを苦いコーヒーで流す。

この不健全な、いや全く不健全な繰り返しが、なんとも過激で危険だが非常な魅力を持っている。

 

そう、実際甘すぎるケーキや刺激の強いコーヒーは温帯に住む日本人には不適当だろう。それは確かにすべて健全とはいえないけれど、でも夜の散歩と同じように何か特別な魅力があるともいえる。

やらないにこした事はないけれど、服薬と同じように、人生の必要なタイミングで、適切量含ませることは、うまくいけば事態がより悪化するのを防がれたり、好転させられたりするかもしれない。どうも自己肯定的だが。

 

理想と事実が違うとき、どう対応するか?

この哲学的で人生的な問いが散歩とお茶にたどりつくのをみるとどうも僕は間抜けでどうしようもない。

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