今思い返していて、話というのは記憶の定かなうちにするものだと思う。
記憶の細かなところが薄れて、あのときうけた感情など何か低次の感覚ばかりが思い出される。
といっても話はつい、何週間か前のこと。
Tままさんの活動は極めて原始的で、雨がふったり強い風の吹く日は現れない。
僕はそのやり方がとてもよいと思う。
僕の住むところ、というか人の住むところ、地球の割合多くの部分はそう毎日豪雨がつづいたり、台風が吹き荒れているわけじゃない。
晴れている日は外にでて活動し、天気の悪い日は、さてTままさんは何をしているだろう。おそらく針仕事か、絵手紙を書いているか、本を読んでいるか、そんなところ。
僕が街に出る日は何故か、これが本当に何故か、雨が多いのだけれど、それでも毎週決まって雨ということでもなく、ちゃんと3回に2回くらいは晴れる。
そういう晴れの日、Tままさんは自分でつくった服に帽子をかぶって、そして何か小さい小物を飾りにつけて、てくてく歩いてくる。
最近会ったときは胸元に、Tままさんの好きな骸骨の、ビーズ飾りをつけていた。僕は骸骨は好きじゃないが、その飾りは何かよい感じがして何度も見た。なんとなくメキシコ的な感じがした。
あれはなんだったのか、聞いておけばよかったけれど、見るだけにしておいたので詳らかでない。
こんなにTままさんの話をしておいて何なのだけれど、今回の話はTままさんではなく娘さんとの話。
Tままさんがやってくるとき、娘さんもくるときがある。
そうだ、書いていて思い出した。
あの日は僕がドイツ語のテキストを忘れて、仕様がなかったんで、天気もいいし早めに徘徊に行こうという話になったのだった。
Tままさんは日も傾き始める頃にやってきて、ストレートコーヒーか、カフェオレかなにか頼むのだけれど、
そう、これはTままさんも先生も、そしてこういう僕もそうなのだけれど、とにかくのんびり性だから、放っておくとなかなかカップが乾かない。
僕は、
「今日は天気もいいし、はやめに徘徊に行きますよ」
といってTままさんを急かした。
外は、初夏のからとした日差しに、この土地に特有の低木の花が咲いて薫っていた。
花を見て歩くと並べて濃く色づいた花が斜光にきれいに映えている。
Tままさんはそれをみて、
「八部咲きくらいだね。このくらいが一番いいのよ。満開だと白すぎになるから。」
と言っていた。
僕らは道に植えてある木々を色々と観察しながら歩いた。
途中改装して新たに開店した洋菓子屋の横を通ったんで、ついでに中を覗いていくことにした。
その洋菓子屋はあまり使ったことがなくて見るに新鮮で面白いから全体を眺めてみると、ところどころに試食の菓子がおいてあった。
その試食の菓子が何とも気前のよい置き方で、よく見るようにひとつの品を幾つにも砕いておいてあるのではなく、ほとんど商品そのままの形でおいてある。
それに試食を勧めてくる。
これは気前のいい店だと、三人で評していたら、奥からボーイが盆にビスケットとチョコレートをもってきてこれを一緒に食えという。
そして、茶までいれてくれる。
僕らの中で最高評価に達したその洋菓子店をあとにして、街中にある庭園を歩いた。
ここでも木と草を見た。
風景の美しいのはいい。
散るに遅れた桜や、池端の花菖蒲、ズミ(コリンゴ)の木。
気づいたら先生もTままさんもいない。それぞれ勝手にやっている。
先生は先のほうで、途中で拾った針金を道中一生懸命磨いていた。太さ5mmはありそうな太くて硬いその針金の錆を石などにこすりつけてとっている。
さてTままさんはどこか。ずっと戻ってみると、池の中島に渡っている。
「もういきますよう」
といって呼ぶとゆっくり池をみながら歩いてきた。
「かもがいたのよ。」
といった。
そうだ、記憶がよく戻ってきたから長々と書いてしまったけれど、これはまあ余計な話で、そのあと娘さんが合流した。
先生と僕だけのときは決まってそば屋に行くけれど、ふたりはそんなにそばを好まないからその時々で適当な店を選ぶ。
その日はそば屋の近くのビルにある洋食屋にいくことになった。
洋食屋でのことを書いてしまったら長くなるだろうから省くとして、食事が終わった後大型書店内のカフェにいった。
娘さんがその店のコーヒー券をもっていてご馳走してくれるという。
席につく。
娘さんがコーヒーを注文する。僕は水をくむ。
先生は磨いてぴかぴかに光った針金をS字に曲げて、それを鞄掛けにしている。
そしてしばらくするとどこかへ行った。
とんままさんも、多分本を探しに、またどこかへ消えた。
はてなこのあたりの記憶がどうも怪しい。
果たして僕と娘さんはふたりきりになった。
なぜこんな話になったか。娘さんは僕にこういうのだ。
「せっかく英語をならったんだから英語くらいは喋れるようになりたいんだよね。
芸人の〇〇(失念した)だったか××だったかがね、飛行機に乗ってる間に韓国語の文法の基礎を押さえたとか言っていたけど。」
「はあ、才能のある人は楽に外国語ができるらしいですね。」
僕はすでに返答に困っていてこう続けた。
「これフランス語の文法書・・・僕はこれをずっと読んでいますけど、中々覚えられません。」
これは朝倉季雄という人の本で1965年に出版されたもの。
娘さんはその出版年数を見てやや笑いを含ませて、
「もう50年も前に出たものだけど、変っているところとかあるんじゃない?」
と言う。
僕は何を言っているのかわからなかったけれど、聞いてみると50年前のフランス語は今のフランス語と違うんじゃないかということを言っているらしい。
それで僕は、
「もちろん話し言葉は変るところもあるでしょうけど、僕は別に話すためにやってるわけじゃないですから。」(僕は話すにしてもこのテキストを使うだろうけど)
と言った。
「ええ?そうなの?それじゃあなんのためにやってるの?」
と非常に驚いている。
どうやら話すことの他に語学をやる目的というのを全く考えたことがなかったよう。
僕はずっと前にどこかに書いたとおり話すことを目的にしていない。
ただ何のためにやっているのかと言われるとこれまた答えに困る。
僕はこう答えた。
「そういわれると、どう答えていいかわかりませんけど、何のためでもないんですね。趣味の語学ですから。」
話すことしか考えていない人にとってみれば、趣味の語学なんてものはさぞかし奇妙に映っただろう。
いやしかし、僕にとっても”話すこと”しか考えていない、それ以外は考えてもみないという人がいるということは驚くべきことだ。
今までも英語が話せればそれだけで大もうけできるとか、そんなことを言っている人がいたが、ああいう人も話す以外の語学などよぎったことさえないのだろう。
人の判断、少し難しい言葉でいうと認識というのは本当に、それぞれ違うものだなあと、こういうことがあるとつくづく思う。
僕はこれまで必死に楽器の練習をしてきたけれど、今のところこれを積極的に誰かにきかせたいとか、団体に所属して合奏したいなどと思わない。
そうすると決まって、もったいない、といわれる。
そしてまた、「じゃあなんのためにやってるの」が始まるのだ。
してみると、人というのは概して実利を目的にするのである。まあ僕としては英語で日常会話が話せたり、あるいはオーケストラに所属して実利があるかといえば甚だ疑問だが。
僕にとっては何もかも、これが一番しっくりくるのだが、”修行”なのだ。
だから「なんのためにやっているのか」という質問は僕にとってはこう変換される、そして僕はだからこそそういう時そう言い返したい。
「じゃああなたは何のために生きているのですか。」
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