北国は寒うございます、Anorakです。
今度の旅には新しく手に入れたノートパソコンを持っていったのですが、結局間があいてしまいました。
パソコンは旅中何度か開きはしましたが、記事を書くとなるとどうもうまくいかない
この記事で東京へ行くということ、また旅の目的なども書きましたが、滞在中はずっと東京にいました。
というか実際は東京というより狭いところ、まあ東京へ旅行に行く人はだいたいそうなるかもしれませんが、ほとんど山手線の中をうろうろしていました。
何泊かしましたが、全ての日程を記事にするのはちょっと大変そうなので、とりあえず書きやすそうな日を選んで書きます。
簡野道明の墓を訪ねて伝通院へ行く
旅の後半は妹と一緒に動いていましたが、前半は一人で宿をとっていました。
出発前に我が先生に東京行を伝えると、先生も日程を合わせて東京へ行く(かもしれない)といっていたので、
東京へ着いた日の夜、先生に電話してみました。
・・・bon soir.
先生は電話にでると何故か、だいたいフランス語で話します。英語とかドイツ語は聞いたことがない。
で、話を聞くと先生も同日東京へ来て浅草に宿をとっているようでした。僕の宿は神田駅近く
その次の日お互い空いているということで、一日一緒に歩くことにして、待ち合わせ場所をきくと、
神保町の三省堂前、すずらん通りではない方に十一時ころ
というので、そこに集合することになりました。
僕がこれまでした待ち合わせのうち、間違いなく最高の待ち合わせ場所です笑
翌日僕は神田駅のほうから歩いて神保町へ向かいました。
余裕を持ってでたんですが、のんびり歩いたんで、その「神保町の三省堂前、すずらん通りではない方」についたとき、十一時を一、二分過ぎていました。
まっすぐ行くと待ち合わせ場所。左がすずらん通り
で、すいません、今度の旅はブログ用と思って結構写真を撮ったのですが、この日だけはほとんど撮らなかったので、写真はこれのみです・・・笑
僕が着くとすでに先生はいつもと変わらない様子でそこに立っていました。
さてどうするかというに、古本をみるにしてもまず腹ごしらえをしようというんで、どこかへ行くことに
古本というのは生体からひどくエネルギーを吸い取るものです。
そば屋にでも行こうかといって歩き始めて、先生についていくと三省堂をすずらん通りのほうへ抜けてすぐ横のビルへ入っていきました。
このビルも三省堂のものらしいのですが、行き先はそば屋ではなく「かんたんむ」という古本屋。
この古本屋は前々から聞いていたところで、その場所を知らせようというのでした。
かんたんむというのは邯鄲夢で、あの粥の煮え切らない話(雑な説明)
このかんたんむ、Tままさん親子が東京に来たときにも先生が案内したようでしたが、そのときは古本より何故か店内に大量に並べられたこけしに喜んで、買ったというはなし
そういえばそのことが手紙に絵つきで書かれていました
Tままさんはこういう絵がついた手紙をくれるんですが、Tままさんの話し方同様、書いた字もちょっと判然しない。この手紙はすべて読めますが
”気味悪し”といいながら自分もこけしを買っているというのがどうもTままさんらしい笑
このかんたんむビルの5階にありますが、エレベーターを降りてすぐのところにある文庫は4冊まで100円という破格の値段です。まあ機会があれば行ってみてください。他文庫・新書など結構な数100円で売っていました。
今回の滞在中僕は結局かんたんむでは一冊も買いませんでした。
僕と先生がかんたんむに入った時は11時24分で、自律しないと日が暮れるので、「6分にしよう」という決まりにして店内を見学しました。
例のこけしは随分数がへったみたいでしたが、まだ十数体ありました。
僕は中学生のとき盛岡のこけし職人のところへいってこけしの絵付けをしたことがありましたが、その辺のとは顔が全く違います。地域性があるよう
一回りして、6分では済みませんでしたが、かんたんむを後にしました。
ビルからでて南東のほうに少し歩いたところにある、「神田錦町 更科」というそば屋に入りました。
この建物どうやら戦災をまぬがれたらしく古い景観を保っています。
神保町の一帯は焼けなかったところが多いらしい。
席へつくとそば茶が卓へ置かれます。
僕はせいろ、先生はしょうが天ぷらとかいう珍しいもの
僕はたびたび書いているように毎週同じそば屋の同じ品を頼んでいるんですが、そのせいで僕の中のそばの基準が全くできあがってしまっていて、他のそばを食べたときにその違いがよくわかります。
ここのそばはやや細めながらしっかりした歯ごたえのあるもので、こんな上手に作れるものかと感心しました。
つゆは甘め
そばを食べるとそば湯という粋なものがついてきますが、そばを食べ終わり、そば湯も飲んだあと、
そば湯のおかわりです
といって頼んでもないのにもうひとつそば湯がきました。そば湯のおかわりなんてのはきいたことがない。それにやたらとそば茶をだしてくれる。
話ながらそば茶を飲んでいるとどんどんついでくれるので、結局店をでるまでに4、5杯飲まされました。
店にはいったときは昼前でしたが、昼になると昼休みにはいった会社員なんかが一斉にはいってすぐに満員になりました。
そそくさとでて西へ向います。
歩いているうちそば屋のおかみさんのことを話しました。振る舞いは堂々としていて語気も強いのですが、接客は非常に丁寧で客をよくみている。よくみて茶を飲ます。
僕の住む街のそば屋の店員はそれとくらべると随分田舎風です。
そば屋から数分のところ、先生について「きゃんどる」という喫茶店にはいりました。
先生の話によると古くからある喫茶店で
前は別の場所にあって店主のばあさんがひとりでやっていたといいます。
一度閉店したのを復活させたのが今あるきゃんどるらしい
店員にこのことを聞いてみましたが、この経緯は知らないようでした。
店内は西洋風のつくりで、格子のついた窓から光が射します。店内はたばこのけむりがもくもくしているので風景としては光のぼやけた感じなど面白いですが、非喫煙者からするとちょっと居づらいところ
煙の苦手な人は入らない方がいいでしょう。
きゃんどるを出て古本を見ながら歩きます。
途中「大雲堂」という文学書の古書店にはいりましたが、これが最高の古本屋です。そしてお金を失う危ない古本屋。
先生に色々話を聞きながら物色して大いに楽しみました。
僕の尊敬する著者の本が山ほどあってもう夢の国です。カビ臭いけど
この時は一冊だけ買いましたが、帰るまでに(僕にとっての)大金を落とすことになりました・・・笑
買った本はそのうち紹介するかな?
神保町をぬけて小石川へ向かいます。
この日の目的の大きな一つが、伝通院にある簡野道明の墓を訪ねることで、神保町から水道橋のほう、北西向かって歩きます。
この道、白山通りというようですが、ここにも面白い古本屋が数件あります。
特に有文堂という古本屋については先生が面白い話をきかせてくれましたが、長くなるので省略・・・
神田川を越えたところでバスに乗ることになったのですが、バス停で時刻表をみるとほとんどバスがない。これあとになってわかったのですが、おそらくバス会社側のミスで、次のバス停にはちゃんとした時刻表がありました。
このせいで伝通院までほぼすべての道のりを歩きました。
春日局像なんかをみながらしばらく歩いて伝通院へ。
門には徳川の葵の紋章があり、墓地の奥には徳川家にかかわりのある人、たとえば千姫などの巨大な墓があります。
簡野道明の墓は・・・
というまえに簡野道明が誰か知らない人が多いでしょうから一応書いておくと、この記事で書いた僕の使っている漢語辞典の著者です。
とにかくすごい人です。
本堂の左を墓地の方へ抜けるとすぐに簡野家の墓があります。
なんというか、いいところ、位置です
一段あがったところに庭のような部分があり、もう一段あがると墓があります。
簡野道明とその室(妻)の墓は家のものと別にたてられています。
墓前には花が供えられていたので、簡野家はまだ続いているんでしょう。
簡野道明の戒名は「源徳院間雲虚舟居士」と書いてありました。なんともいい名です。一応書いておきますが、簡のうちの日は正しくは月です。戒名の間の日も正しくは月です。
簡野道明の墓の斜交いに柴田錬三郎の墓が、また後方に佐藤春夫の墓があります。
旅行中に墓場へ行くなどというと笑われますが、なかなかいいものです。
巣鴨の染井霊園なんかも行ったことがありますが、あそこには二葉亭四迷や岡倉天心の墓があります。
伝通院をでて、北へ向かいます。
このへんも神田ほどではありませんが、出版社が点在しているようで、すこし行くと未来社があります。新しいシャレた建物です。
未来社といえば、未来社の発行する未来という冊子があって、前はよく読んでいましたが、ちょっと前に季刊になってしまいました。
そこからもう少しあるくとドイツ語関係の本を出版している大学書林があります。先生はここの社長と知り合いらしく、建物にはいって社長を呼び出し入り口のところで立ち話をはじめました。
僕は入りたくもなかったので、外で待っていました。
小学生の下校姿や、近くの中学校の生徒がランニングして通るのを眺めているとそのうちに歌声が聞こえるんで、みると、セーラー服を着た真面目そうな少女が歌いながら歩いてきます。パッヘルベルのカノンを歌っている
合唱部の生徒はこうやって帰宅するのか
と思って、またしばらく、ランニングする生徒やら小学生をみていると、そのうちにまたその少女がやってきます。
今度は大地讃唱を歌っている・・・
待っても待っても先生は話しているんで、その辺をぶらぶらすることにしました。結局一時間弱くらい待ったような笑
先生の長話がおわってまた歩き始めると、また同じくドイツ語の出版社の同学社があって、先生また門をたたく。
なかから婦人がでてきて、この人とも先生は知り合いみたいでしたが、先生
社長はいますか
とまた長話を目論んだんですが、九州に出張中ということで挨拶だけしてことなきを得ました。この上なくほっとしました笑
さらに西へ向かって神楽坂のほうへ
途中で偶然pain des philosophesというパン屋をみつけて名前が面白いっていうんで入店。店内をみるとどうも本物のパン屋のようでした。
先生は短めのバゲット。
僕は2尺ほどもあろうかという長めのバゲットを買って、フランス風などといって歩きながら食べました。
このバゲット非常においしかったのですが、フランスパンは歩きながら食べる物じゃないですね。クープが凶器と化して僕の唇は傷だらけになりました。今も治りきっていません。
神楽坂近くに赤城神社という神社があるんですが、ここも京都の梨木神社と同じで境内にマンションがたっていました。最近はこういうのが多いですね。
本堂も全く現代風な感じがして、神々しさは全く感じられませんでした。
神様が引っ越してしまったのかもしれない。
神楽坂へでて、神楽坂、神楽坂上、神楽坂下と歩きます。
坂をくだったりのぼったりするんですが、この地形は神田お茶の水あたりの地形とつながっているようです。
神楽坂には原稿用紙で有名な相馬屋というのがあって、先生も文豪の真似をしてよくここで原稿用紙を買ったようです。
何も買わずにでたのですが、原稿用紙を買っておけばよかったと今になって思います。
神楽坂を歩いているころにはすっかり日も暮れて夜になりました。
僕と先生はそのまま飯田橋のほうへ抜けて靖国神社を眺めて、皇居のところまで歩きました。
江戸城の濠の周りは桜がしだれていて、これが春になると美しい景観を生むらしいのですが、今は冬、夜に枯れ枝というちょっと不気味な風景でした。
Tままさんの手紙にはこの桜の春の様子も書かれていました。
せっかく来たのだから門でも見ていこうというので、橋を渡り田安門を中へはいりました。
城の石垣というのは、あれすごいものですよね。
江戸城跡を後にして九段下を東に行き神保町へ。これで振り出しにもどりました。
まだ七時をまわったところでしたが、その日は解散。
先生はお茶の水の方へ、僕は神田の宿へ歩いて帰りました。
この日の歩数28691
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