この一つ前の記事を投稿するまでにかなり時間が空いてしまいましたが、
実は四月のあたまにちょっと遠出をしていました。
遠出をする前にすこし更新がとぎれることを通知したほうがよいかとも考えたのですが、
数日だし帰ってから急いでかけば無問題
と楽観していたのが、思ったよりかなりきつい旅程で、おおはずれ、帰ってからふとんを棺おけにして安らかに眠らねばならぬということを予想していませんでした。
それで帰ってきて、
ああ、これは更新までにしばらくかかるな
と気づいて、今度は更新までしばらくかかります記事(こんな感じの)を書こうとも考えたのですが、この一つ前の記事を完成させるのが先だとして、
結局このありさまなわけです。
最近の記事の書き方とか
前回の記事ですが、あれは新たな試みでした。
ブログを始めた当時はすべてパソコンの画面上で済ませていたのが、そのうちブログに関わること、記事のアイデアや調べたことをノートするようになって、徐々にパソコン外での作業が増えてきました。
僕の記事作成が遅くパソコン上でやると(電気の)無駄が増えるということもあって、最近特に実際記事を書く前にできることは準備しておくようにしています。
随筆のような記事は、情報をまとめた記事に比べると、準備できる部分が多く、前の記事でついに文章すべてを書いてから記事にするというやり方になりました。
なったというかまあ、とにかく今度はそうやってみました。
もうちょっと具体的にいうと原稿用紙に書き出したのですが、
不思議なことに画面に直接打ち出していくのと、原稿用紙に書くのでは文章が変ります。
僕の場合はブログ用の文体というべきものがあって、原稿用紙に書くときはそれがやや薄れてしまいます。
それで記事にするときはそれを力づくで軌道修正したのですが、できあがったものはこれまでのものとはちょっと違ったものになったと思います。
まあ読者様にとっては関わりないことかもしれませんが、記事の生い立ちによって文が変るというのが自分で書いて面白かったという話。
身体の歪みと体調
少し前に、某古本屋で岩波の日本古典文學体系が安く売られていて、近松とか源氏とかほしいものがあったので、8冊ほどと別のものを2冊(大き目の本)買ったのですが、ものすごい重さになりました。
家までの一時間半ほどの道のりを半分は(もとから重い)鞄にいれて、半分は手に提げてあるいたのですが、こういうことをすると次の日に必ず身体の具合が悪くなります。
最近はよくわかっているので、かえってから充分身体を伸ばして寝るので、そこまで酷くならないのですが、気づかないうちは相当重症になりました。
やはりどうも重たいものをずっともっていると骨がゆがんだり、あるいは筋肉が緊張したりして、なにか不具合を起こすようです。
僕の場合は全身の倦怠感や頭痛、それから気持ち悪さ(むかつき)があってしばらくなおりません。
古本を大量に買って体調を崩すとは我ながら滑稽極まりない・・・
身体を正常に保つということに関しては、運動選手と同じように音楽家の気にするところでしょう。
楽器をやっていればわかるでしょうが、楽器演奏というのは正常な身体の運動というのが重要なもののようです。
演奏をみていると精神の働きの方を強く感じますが、楽器の練習はどちらかというと身体の鍛錬の割合が多いのではないでしょうか。
まあだから音楽家は古本を買いすぎてはいけません。
このブログの記事が難しい件
どこかの記事に登場したこのブログを知っている友人が未だにブログを読んでくれているようなのですが、エッセイばかりほめてくれます。
友人はフルート吹きでオーケストラなどもよく聴くようですが、
この記事は難しくてよくわからないといわれました。
難しいことを知らなくてもわかるように書いたつもりだったので驚きました。
よくよく話を聴いてみると、専門知識を問うような難しさではなく、記事の意図がわからないという話。
(あと音源がないとどうしようもないともいわれましたが、YOUTUBEの動画は著作権違反のものが多いと思われるのであまり乱用できないと、このところ考えています。)
それで口で細かに説明するとようやく伝わったようでした。
音楽をやっている人に伝わらないというのはちょっと一大事なんで(笑える)、もう少し工夫が必要なようです。
ブログフィクション説
それからブログの内容に現実味がないという話になりました。
友人は現実世界の僕を知っているから信じられるけれど、知らない人からすれば創作にみえるかもしれないと。
まあそうかもしれません。
今のところ空想の産物を書いたことはないのですが、インターネット自体架空の世界なわけですし、そこまで気にすることでもないと思います。
ただ、この(悲惨な)現実にも現実離れした新鮮で、珍奇で、わくわくすることがあるということがわかると日常が面白くなるのは確かです。
源氏物語に六条御息所という未亡人がいますが、生きている間は生霊として、死んでからは死霊として光源氏の周りの女性たちを呪い殺します。
こういう現在ではフィクションとして考えられるようなことが、当たり前のこととしてでてきます。
ハーンの怪談もこの類です。
フィクションをフィクションとして捉え、あくまで架空の、現実にない話だと考えてしまう人はこういうものを楽しむことができないでしょう。
そして畢竟現実を楽しむこともできないと思います。
僕は幸いにして人が人を呪い殺すこともあるだろうと素直に信じていますから、もう少しは楽しめそうです。
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