「明日昼過ぎに、例のMさんの母君の友人のHさんと待ち合わせてMさんの家に行くことになりました。」
事態は非常にややこしい。
次の日は暇があったので、僕もついていくことにした。
Mさんは歌手である。
Mさんの母はHさんの友人である。
HさんはMさんの歌の弟子である。
我が先生はMさんの語学の先生である。
そして僕のピアノの先生はMさんの仕事仲間である。
こんな論理学的説明をしてもわけがわからないだろうが、とにかく人と人があれこれ色々な理由で繋がっているわけだ。
この複雑な関係を理解するためにはもっと始めから話さねばならないが、長くなるので今はしない。
先生はもちろん僕もまたMさんと、Mさんの母と、そしてHさんと面識がある。
話をきいた次の日の昼、待ち合わせ場所に行った。
僕との待ち合わせの殆どすべてに遅刻する先生が珍しく待ち合わせ時間ちょうどにきた。
先生と僕は笑いながら定時運行だとかなんとか言った。
話をきくと、郊外にあるMさんの家にHさんが稽古に行くらしいが、自宅へ行くのが始めてだとかで、先生がお供するらしい。
そしてそのついでにMさんはフランス語のお勉強をみてもらうというのだ。
せっかく先生が定時運行したというのに肝心のMさんが来ない。
待ち合わせ場所は確かにここだという。
さてはHさんがなにか勘違いしているのだろうと思ったが、果たしてその通りだった。
普段年寄と多く接しているとわかるが、そういう認識能力は個人差はあれどやはり落ち込んでいくものらしい。
年には逆らえないのだから、若者も年寄もそんなことは笑って済ませばよいと思う。
それでも何分遅れかでHさんは待ち合わせ場所にやってきたからまだ達者なようだった。
先生が定時運行したのは決まったバスの出発時刻があるからだった。
待ち合わせはうまく行かなかったが、それでも余裕をもってバスに乗り込んだ。
Mさんの家は街中から遠く、3、40分揺られてバス停につく。
Mさんの迎えの車にのって自宅へ行くというから、定員に問題はないかと心配になってきくと、先生は
家来がもう一人お供する
とすでに伝えてあると言った。
Mさんの家は川沿いの閑静な住宅街にある、昭和の古い一軒家である。
玄関のところに福寿草が咲いていた。
廊下を少し行ったところに居間があり、その隣の部屋にピアノが置いてある。
さてまずは稽古かと思ったら、居間のうちの派手なクロスの載った大きなテーブルの前に座らされた。椅子も洋風の大きなものである。
目の前にランチョンマットが敷かれて、まず足のあるグラスに水が注がれる。
その次にティーカップに何か、お茶が注がれる。これ”コオン”茶というから何かと思ったら、トウモロコシのお茶だった。
その次にワイングラスが出てきて、お酒じゃないからと葡萄の炭酸入のジュースが注がれた。
なんだこれは宴会が始まるのかと思った。
その次は僕が持っていった柏餅とチョコレートが大皿に載って出てきた。
そして、Hさんがこしらえたという帆立の炊込ご飯が漆塗の箱に入って出てくる。
Mさんの準備したなめこ蕎麦、そしてこれもHさんが用意したゆで卵(1パック!)、それに白菜の漬物がでて、豪華な昼食が始まった。
昼飯を済ませてようやく歌の稽古が始まる。
柏餅はあとで休憩するときにコーヒーを淹れてくれるというので、その時に食べることになった。
僕は稽古を楽しめるように、今日の分の楽譜を見せてもらって譜読みをした。
Hさんは日本語の歌曲を歌うようだが、明治につくられた本格的な日本製西洋歌曲で、結構難しそうだった。
Mさんのピアノに合わせてHさんが歌う。歌の稽古というのをみるのは初めてだった。
一通り合わせたところで、Hさんが音を半分かひとつ下げたいというので、Mさんは移調譜をつくりはじめた。
器楽だとほとんど原曲のままでしか演奏しないが、歌だとありうるのかもしれない。プロは声域が広いし、曲に合わせるものだろうけれど、老婆に無茶はさせられない。
Mさんは移調譜をつくるのに手間取って、というか面倒がって、途中でつくるのをやめてしまった。結局和音の並びだけ真似して後は即興で伴奏するようだ。
本番も楽譜とは違うけど適当に弾くからなどと言っていた。小さな舞台とはいえ、なかなかいい加減だ。
歌の稽古がいい加減に終わって、休憩時間になった。元から出ていたものの他に、さらにお菓子がでてくる。コオン茶がじゃんじゃん注がれる。
僕はコオン茶や水を飲んでは注がれ、尿意を催し便所に行き、飲んでは注がれ飲んで、便所に行き、注がれて飲んだ。
便所に三度ほど行ったところで、フランス語のお勉強が始まる。
お勉強だというから僕もフランス語のテキストを持っていき、眺めていたのだが、様子をみているとお勉強というほどでもない。
Mさんはフランス語の歌曲をよく歌うのだが、その歌詞の意味を詳しく知って歌いたいのだという。
シャンソンを歌うことも多いが、その日はオペレッタのアリアかなにかを読んでいた。
内容を聞いていると、女性が男性をもてあそぶ歌のようだ。
女性には愛人が二人いた。
二人の愛人は女性が二股かけていることを承知している。
女性は片方に、
もう一人の男はあんたよりもっと素敵で、月々のお金もあんたの二倍くれる
と言っていて、そしてもう片方にも同じことを言っている。
・・・というような始まりの歌なのだが、それが結構面白い。
最後のほうはシャンソンなどにもよくあるような象徴的、抽象的表現が多くよくわからない。それについて先生とMさんはあれこれ話しあっていた。
どうも歌の最後の数行の意味がわからないというので、行き詰ってまた休憩のお時間がやってきた。
コオン茶が注がれる。もう日も暮れてしまった。
もうそろそろ帰り時かと思っていたが、その日Mさんの旦那は帰らないらしく、(どうも暇だったようで)、僕らは暗に留められ続けた。
Mさんはナッツをかじって、
「この時間になるとナッツが食べたくなるわ」
などといい、日ごろの苦労話やらなにやらをしている。
その中に僕のピアノの先生の話があった。
僕のピアノの先生は、レッスン室のピアノを上下とも楽譜で埋もれさせて素晴らしい音響効果を生み出しているほど、それほど大雑把な性格である。
まあ、そんな先生とMさんともうひとりの音楽家が話していたらしいのだが、話題は納豆についてである。
Mさんが
「納豆って多少賞味期限すぎても問題ないよねえ」
というと、もう一人の音楽家が、
「全然問題ないよ。私賞味期限一年過ぎたの食べたけどなんともなかった。乾いてちょっと硬くなるけどね。」
という。すると僕の先生が、
「私は干からびて硬くなった納豆をつまんでぽりぽり食べるのが好き」
といったらしい。
Mさんは賞味期限を厳守する必要はないのではないかということを言いたかったらしいのだが、そんなこと問題にすらなっていなかったのである。
話しているうちに、今度はもちもちロールケーキなるものがでてきた。
そして間もなく、ゼリーがあったなどといって、ももとマンゴーのゼリーがでてきた。
もう満腹である。
時は九時を過ぎた。
Hさんがもう十時になってしまうから帰りますといってくれたおかげでようやく帰り支度ができた。帰りはMさんが駅まで送ってくれた。
駅についてHさんを見送った。
僕はもう疲れきって、へとへとだった。
「先生はどうしますか」
と僕がきくと、驚いたことに先生は
「今日はまだ2500歩しか歩いていないのでもう少し歩いて帰ります。」
といった。もう十時をまわっている。
僕は帰ろうか、帰るまいか、数秒のうちに相当悩んだが、ここまで来たら最後まで付き合おうと歩くことを決めた。
駅の外に出て歩くと、風が吹いて、意外と気持ちがよかった。心が疲れただけで身体は元気らしい。
先生は一日一万歩あるくのを日課にしている。厳守するわけではないが、目安にしている。そのせいもあってか骨密度の値は非常に高いという。
まず読売新聞社に向かう。
僕も先生も読売新聞はほとんど読まないが、道中にあるのでせっかくだから立ち寄って、ビルに張り出された新聞の見出しを眺める。
その次はビルとビルの間を通って、毎日新聞社へ向かう。みているうちに灯りが消えてしまった。
毎日新聞の後は地下へ潜って駅と反対の方へ歩く。しばらく歩いて今度は地方紙のビルで新聞を読む。
景観賞だかなんだかをとった庭を通って路地へ這入り、最後に朝日新聞社のビルで新聞を読んだ。
計一時間弱5000歩ほどの道のりを歩いて駅へ戻ってきた。
結構な距離歩いたが、車から降りたときよりむしろ元気な気がした。
「手洗いによって帰ります」
という先生と改札のところで別れて電車に乗り、駅から歩いて帰った。つくと12時近かった。
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