僕は幼いころから机に向かって勉強するというのが大嫌いで、勉強しなくてもついていかれる頃はまだよかったが、段々学校の勉強が難しくなってくるといよいよどうしようもなくなってきた。
それでも勉強しなかった。
試験期間3日前くらいにちょっと焦って、ようやく重い腰をあげる。
3日じゃどうやっても間に合わないが全力をつくす。テスト期間は夜通し勉強する。
それでなんとかしのいだ。
なまけもの式勉強したくない時の勉強法
勉強ってやる気が出ない時が一番重要かもしれない
本当に”泣く泣く”勉強した。
長期休みの宿題なんか、最後の一日まで一つもやらずに大事にとっておいて、本当に泣きながらやったこともある。
こんな苦しい想いをするなら普段からちゃんと勉強しよう・・・
と試験期間中は毎度思うが、試験が終わった途端そんなことは全く忘れて、生まれ変わったようなすがすがしい気持ちで勉強しなかった。
勉強しなくてよいときはそれでよかったのだが、当の本人が勉強したいとかしなきゃいけないといけないとか思い始めたらちょっと大変なことになった。
意志と欲のたたかい
さあ勉強しようと思っても、その勉強嫌いがまだ心のどこかにひそんでいて、いつも陰から隙をうかがっている。
頭では頑張って勉強してなんとかものにしてやろうという意気込みがあるのだが、体が布団にはりついていたりする。
結局暫くのあいだは布団にねながら勉強するという折衷案で済ましていたが、横になるとどうも眠い。
これが本当に不思議なのだが、別に寝不足で眠たいわけでもないのだが、よこになっていると眠くなる。
本当に追い込まれているときなんかは、絶対に横にならないように布団をもので埋め尽くしたりしたが、これは火急の策である。
日常は火急時ではない
火急は火急で、普段から火がついているわけではない。
勉強は、
火がついているときも、
日が暖かく空気がぼんやりしていて、穏やかな風が吹いているときも、
雪のふく凍てつく寒さのなかでも、
いつも均等でなければならない。
なまけものの僕でもたまには急にやる気に満ちて、何時間もぶっ続けで勉強してみたり、読書してみたりするが、だいたい3日もしないうちにそのやるきはきれいに失せている。
やる気が出ない時になんとか勉強するのが目標
やる気がある時は別になにをしなくとも勝手に勉強するのだから、そんなことは考えずともよい。
問題はやる気がないときである。
体が疲れているときなど、気持ちも滅入ってしまってなかなかはかどらないもので、
体も心も、疲れている時は寝てしまうのが一番だが、勉強は寝ながらはできないのだからちょっと考えなければならない。
なまけもの式勉強法
前置きが無駄に長くなってしまったが、
ここから僕が最近考え出した、なまけものの自分をなんとか”だまして”勉強させる方法を書く。
1, 勉強する本は出しておく
この記事で蔵書目録をつくる話を書いたが、これに書いたとおり、僕はついでに勉強計画なるものをたてた。
勉強計画といってもそんな難しい物ではなく、やることと読む本を簡単に書いた、まったく幼稚なものである。
こんな簡単なものは別にあってもなくても大して変わらないのだが、なまけものにとっては見返すごとに、ああ、そうだこれをやるんだったと思いだすので、まあ書かないよりはましだと思う。
そして、ここに書いた本はできるだけ全部手元(机元)においておく。
他のものはなるべく仕舞う。
なまけものはすぐ目移りするから、こういう配慮が必要である。
筆記具や辞書などもなるべく身近においておいたほうが、勉強そっちのけで掃除し始めたりする可能性を減らせる。
同時期にこなす冊数は人によって違うだろうが、余り多いと集中できないので、
僕は10冊くらいまでにしている。
2, とりあえず座る
最近座るということの効果について注目していた。
考えてみれば学校でも授業中は座らなければならない。
横になっていると、上に書いたとおり、なんとも頭が働かないものである。
立っていると今度は体が働きすぎる。
じっと座っているときが勉強するには一番具合が良いようである。
だから僕はとりあえず机の前に座布団をしいて、その上に座ってみる。
気がのらないときも、とりあえずそこに乗ってどんな体勢でもいいから、とにかく座ったような状態にする。座っていると思わせる。
そうすると、不思議と気持ちが落ち着いてきて目の前の書物に目が向かう。
姿勢を正す
勉強中は長時間同じような姿勢をしているから、結局いわゆる”正しい姿勢”をしておくのがいちばんよい。
もちろん椅子に座って机に向かうのもいいのだが、僕は足がぶらつくのが落ち着かないので、最近は座布団の上で正座するのが一番よいと思っている。
本を読むでも、こういう記事を書くでも、正座して、背筋を伸ばしているのが、その最中も、結果も一番はかどる。
正座は体によくないとかいうこともあるから、もしかしたらもう少し改善の余地はあるかもしれない。
3, 自分をだます
座布団に座ったときからもう自分を騙しているのだが、それでも本を開く気分にならないときがある。
僕はそういう時
「5分でいいから勉強しよう」
とか
「1ページでいいから読もう」
とかいって自分を騙す。
騙すといっても、本当にそういう気持ちで開くわけ。
騙されてしかたなく本を開くと、これまた不思議なのだが、だいたい5分が1時間に、1ページが10ページになる。
読む本は近くにおいてある本の中から、その時一番開きたいと思ったものを選ぶ。
少し難しいものも、もっと難しいものと並べてあると、それを開くよりは楽だ等となまけもの心理がうまく働く。
そうやって本を開いて、それでも気が乗らなかったらその日はまあ開いたのだからよいとして、寝た方がいいかもしれない。
あとがき
なまけものは勉強するのも一苦労である。
そんなになまけているのに、一丁前に勉強したいのだから、騙しだましうまくやるしかない。
最近このことについて先生に話したら、
先生は
めいそうじょうき
という言葉を教えてくれた。
僕はめいそうじょうきときいて、
はて、めいそうじょうきとは何だろう。瞑想上気かな。
とか自分の無知ぶりを自分に曝したが、
めいそうじょうきは「明窗淨几」と書いて、
窗明く几淨き(こと云々とつづくのだろうか、僕は原典を読んだことがないからわからない)
というので、明るい光の差し込む窓と綺麗な机というのが勉強のために必要だ、という中国の教えだった。
今日書いたことは、とにかくサボりがちな僕が、本に向かうまでの有様を書いたのだが、本を開いてからそれを如何に継続するかはまた別の課題らしい。
僕は本当に集中力がないから、
そこはもっとうまく自分を騙す方法が必要である。
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