喫茶店通いも継続しているとちょっと妙なことになってくる。
喫茶店の店主や従業員と知り合うだけでなく、常連の様々な人と面識が生まれる。
僕は、記事上では仕方がないから一方的に書いて(話して)いるが、現実ではそんなに口数の多い人間ではない。
人の話すことに、はあ、とか、ほお、とか、ああ、とか、へえ、とか、ふん、とか相槌を打っていることのほうが多い。
それでもなぜか知り合いが増えていく。
知り合いがただ増えたからといって、別にどうということもないのだけれど、とにかく増えることは確かなのである。
僕はここで、どうやったら良い人脈を広げられるか、などという目的の渺茫たる話題についていうのではない。
ただ、毎日の生活に刺激がほしいとか、ちょっと面白いことを求めている、とかまあそんな程度の軽い願いに対して可能性を提示するだけである。
人生を劇的に面白くするとかそこまでの期待をこの記事にされても困る。
喫茶店通いの可能性
どこかに通う、ということを継続すれば、そこが喫茶店でなくともなんらかの変化はおきうるだろう。
僕の場合はそれがたまたま喫茶店だから喫茶店の話になるわけである。
まあしかし、知り合いを増やすということを考えるなら、場所はしぼられてくるだろうし、喫茶店は相当の可能性をもった場所だろうと思う。
音楽仲間が欲しいなら音楽をやればいい
当たり前といえば当たり前なのだが、音楽を先生に習いに行くと、先生と知り合いになる。
発表会などにでると、門下の人と親しくなる。
というので、ある特別の趣向を持った人と知り合いになるにはその領域に飛び込めばいいわけである。
僕の知り合いに、歌手の人なんかがいるのは、全く、僕も音楽をやっているからである。
つまりアイドルと知り合いたかったら、ファンとして活動をするのではなく、アイドルとして活動をしたほうがよいということである。(え?)
喫茶店は何かターミナル的要素がある
喫茶店は店によって客層が違う。
それが実は重要なことなのである。
喫茶店にはあらゆる人が集まる。僕の通うところは画廊がついているから、絵描なんかが多いが、陶芸家、服飾デザイナー、作曲家、劇作家、
また職人や、商売人等多種多様である。
羊飼いという人もいる。(羊飼いの知り合いなんかなかなかできるものじゃない。)
自分に合った店を見つけることができれば、おそらく自分と近い趣向を持った人々が集まっているはずである。
客層を決める要素は色々とあるが、思うにその喫茶店の立地というのが結構重要である。
なんともよくわからないという人はとりあえず画廊(ギャラリー)付の喫茶店に通うとよい
画廊がついていると絵描のみならず、造形的のことをしている人たちが入れ替わり展覧会をするから面白い。
展覧しているものは別に興味がなければ、見ても退屈なだけなので見なくともよいが、それぞれがどういう活動をしているのかなどきいていると、たまに面白い話をきけることがある。
しようもないこともあるが、面白いこともある。
聞き上手は人脈作りのコツかもしれない
僕は自分からはあまり話をしない。自分の口から碌なことがでると思っていないからである。
ただそれでも着実に変な繋がりが出来ていくのはもしかすると、話のきき方が一因にあるかもしれない。
僕は人から聞き上手だといわれることがある。
上にも書いたとおり、僕は相槌やら質問やらを繰り返しつつ人の話を延々ときくことがある。
聴き上手のコツはなどというとこれまた難しい問題だろうが、以下少し思いついたことを書く。
僕の思うところ、人の話は2つに分けられる。
ひとつが相手の応答を期待する場合。もうひとつが相手に何の応答をも求めない場合である。
相手に応答を期待する場合というのは、例えば人生相談なんかである。
この場合相手は僕に対して、何らかの助言を求めているわけである。
相手に応答を求めない場合というのは、例えばグチである。
グチをきいているとき、それは〇〇じゃないの、などというのは下手であろう。
人の話というのは大体がこの相手に応答を期待しないものなのである。
自慢話をする人は相手の羨望を引きだしたいとは思っているものの、それ以上の反応は求めていない。それについての聴き手の意見など別になくてよいのである。(適当な反応は必要だが・・・)
というので人の話をきくときは相手が何を思って話しているのか注意してみるとよいかもしれない。
まあ聴き上手がすぎるのもあんまりよくはない。僕なんかよく長話をきかされるからうんざりすることがある。
まえ楽器店の店員の話を一時間以上きいていたことがあるが、そういうことはよくある。
いい友と悪い友がある
悪い友に引っかかってしまった時は本当にめんどくさいから普段から注意しておく必要がある。
結局ヤマアラシであることがもっともよいというわけである。
理想の姿の図
その僕のきき上手がたたってか、それとも僕の容貌に惹かれてか、僕はよく面倒な人にまとわりつかれる。
例えば先生と勉強しているところにずかずかと入り込んできて、どうにもならないということになる。
一体僕はそういう人の性質を見抜くのが苦手だから、なんどもやってもまた同じ過ちを繰り返してしまう。
徒然草にこういう面白い箇所がある。
第百十七段
友とするにわろき者七つあり。一つには高くやんごとなき人、二つには若き人、三つには病なく身強き人、四つには酒を好む人、五つには武く勇める人、六つには虚言する人、七つには欲深き人。
高くやんごとなき人というのは、現代では実感がないが、高貴なる人という意味である。
それぞれどうして友とするにわろき者なのか考えてみると面白い。
そしてその後こう続く。
よき友三つあり。一つには物くるる友、二つにはくすし、三つには智慧ある友。
”くすし”といのは”藥師”で医者のことである。碌でもない医者もたくさんいるとは思うのだが、兼好の個人的な事情によろう。
この段は僕にとっては抜群に面白いところである。
過つばかりの僕としては、古きを温ぬというので、大いに参考にしたいところである。
コーヒーを飲みながら本を読むというのはよいものです。
別に人脈を広げようと思わなくとも、たまにでいいから喫茶店に通ってみるときっとなにかが変わるに違いない。
窓辺の席に座ってぼうっと風に吹かれる木々を眺めて、
眺めつくして、本を開く。本に退屈したらぼうっとする。
ぼうっとするのに退屈したら帰る。
隣の人にWho can you be?などといわせようものなら、大勝利である。
◆喫茶店に入りにくいという人のための記事
◆ギャラリーで起こった奇怪な事件について書いたもの
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