音楽ってただ聴くだけならなんともないことですけれど、いざちゃんと聴こうとするとこれがけっこう難しい・・・
ちゃんと聴けているかどうかなんて誰にもわかりませんからね。
だから出来る限り自分を訓練して音楽から得られるものを誤りなく汲み取りたいところ。
とはいうものの、音楽を勉強するということは普通なかなかできないことですよね。
僕は音楽を聴き始めて
自分は果たしてちゃんと音楽が理解できているのだろうか
という、ちょっとどうしようもない問に悩みました。笑
そうして、もっと音楽をしるためにピアノを習い和声や対位法(作曲と思ってください)を習い、音楽史を勉強し・・・なんてことは前に確か書きましたが、
実際やってみた感触としては・・・
難しい!
音楽って難しいんですよ。全然わからない
僕は何人もの先生について勉強しましたが(今も勉強中ですが)、これってなかなかできることじゃない。
僕の場合は運がよくていい先生方にあたることができましたが、先生一人みつけるだけでも本当に大変なことですし、和声の習得なんか何年単位でやらないといけないことですからね。
そこで今回僕が忙しいみなさんのために、ここをおさえれば音楽がもっと面白くなる、というポイントを紹介しようと思います。
一応今までも一応そういう体でやってはきたのですが、今回は少し踏み込みます。
クラシックの聴き方 バッハのシンフォニア第11番
シンフォニアって何?
ピアノをやっていれば必ず弾く曲ですが、そうじゃない人の目にはあまりふれない曲かもしれません。
「インベンションとシンフォニア」という15曲が対になった曲集で、もともとはバッハの息子フリーデマンの教育用に書かれたものが推敲されたものです。
この曲集ではまず第一に”声部”が重要な要素です。
インベンションでは声部が2つ、つまり2声
シンフォニアでは声部が3つ、つまり3声
で、これは厳密に守られます。(インベンションには終止で声部が増えるものがある)
ポイント1 声部
声部というのは説明するとなるとちょっと難しいのですが、
まず西洋芸術音楽(クラシック)というのは合唱から発展したものなので、
もとに(人間の)”声”があります。
学校の音楽の授業でやった合唱でパートというものがあったと思いますが、あれが声部です。
ソプラノ、アルト、テノール、バス
が基本で声が四つあるので四声といいます。
インベンションは2声、シンフォニアは3声という意味がこれでわかると思います。
”音が重なる”のは、声が複数あるからです。これ重要なことです。
西洋音楽が世界中にはびこっているため当たり前になっていますが、”和音”とかいうものはちょっと注目に値する特殊な事柄です。
この声が重なるということが特徴の音楽が洗練されていった結果の頂点の一つがバッハの音楽で、その仕組みを和声といいます。
バッハ以降の音楽も和声が非常に重要な役割を果たします。
そして和声の音楽には、もちろんですが、特徴があって、
これをいくつかおさえると和声の音楽が非常に面白くなります。
というのも「和声感」というものはどうやら後天的に獲得するもののようだからです。
つまり、知って、また慣れることによってその人に対する音楽の力が増すことになるわけです。
というわけで以降シンフォニアの第11番を題材にその特徴をみてみます。
インベンションとシンフォニアはどの曲もものすごく面白いのですが、11番はゆっくりで和声的の特徴が濃縮され、わかりやすいと思われます。
短い曲なのでまあまず聴いてみてください。
演奏はグールド
Glenn Gould – Bach, Sinfona No. 11 in G minor
ポイント2 模倣
まず冒頭模倣が目につきます。
上の楽譜をみてください。
はじめ上の声部が奏したメロディを、次は中の声部が、さらにバスが模倣(他の声部を真似すること)しています。
バッハは模倣が大好きで、「インベンションとシンフォニア」は全て模倣の音楽です。
バッハほど徹底して模倣の音楽をつくった人はいませんが、他の作曲家の曲にも模倣はみられます。
模倣の極致”カノン”の手法で書かれているのがインベンションの第2番
ポイント3 掛留(けいりゅう)
声部や模倣は音楽ファンなら目にすることも多いでしょうが”掛留”なんてのはあまり見ないんじゃないでしょうか。
ぼくはこの掛留というのが大好きで、これを意識せずに音楽を聴いているなんてもったいないと思うのですが、ちょっと難しいことだからか、一般にはとりあげられることはまずありません。
(いや実際仕組みやらなにやらを厳密に説明すると非常にややこしい)
楽譜をみてください。
先ほどと同じ冒頭ですが、色をつけた部分の音がぶつかっているのがわかりますか?
一番左、上声がファからミにおりてきて、内声(中の声部)のレとぶつかります。
ぶつかる、というのはこの場合”二度”の音程をつくることで、
いわゆる不協和音になります。
こうして音をぶつけるとなんともいえない絶妙の効果がうまれます。
こういう風に和声の音楽ではわざと不協和音をつくることによって様々の効果を生み出します。
こういう技法は他にもいくつかありますが、バッハの音楽ではこの掛留が最も重要なものです。
掛留はいくつか特徴があります。
- ぶつかる音はぶつかる前からひきのばされる。
ひきのばされた音を”掛留音”といいます。
- ぶつかったあとは協和音に解決する。
掛留音は他の音とぶつかった後、(殆どの場合)一つ下にさがって協和音をつくります。
上の例(一番左)では解決の前に”シ”がはさまっていますが、レからドにさがっています。
そのあとそのドはまた掛留音となり、ラをはさんでシにさがります。
ポイント4 装飾音
装飾音がつかわれる場合大きくわけてふたつの目的があります。
- 本来の意味での装飾
- 不協和音を強調する装飾
一つ目は曲を飾ることを目的にしたものです。
ただこれだと豪華な印象を狙うように思えますが、もっと微妙な多種多様のニュアンスを出すことができます。
二つ目はちょっと難しいですが、終止(曲の段落的部分や最後の部分)等で不協和音を強調して、力強く解決するためにつかわれます。
他に時代的なことですが、楽器の音が長く伸びなかったために装飾で補ったという事情もあります。
この曲は装飾が少ないのでちょっと不適当ですが、数か所装飾音があります。
九小節目、上声の上にギザギザがついているのがわかりますか?
装飾音は多くの場合こういう風に音符としては書かれません。
なので奏者によって装飾の仕方がかわってきます。
この場合は”トリル”なので、普通はドシドシドシ・・・と弾きます。
が、バロック時代は多様な装飾音があるので、もっと複雑に弾かれる場合もあります。
この装飾音の目的は・・・そうですね、一つ目と二つ目の中間位の意味でしょうか。
シンフォニアの中では5番が装飾のたくさんある曲です。
細かい音は全部装飾です。
ポイント5 終止
終止も知らないと意識しないかもしれませんね。
上にも書いたように、終止は音楽に区切りをつけます。
終止が全然ない曲というものまれにあります。
黄色をつけた部分、バスがレ↑レ↓ソと大きく動いています。
このように終止では概してバスが大きく動きます。
また上二声は限定進行音といって、この場合、上声は必ず下に一つ下がり(第七音)、内声は主音たる”ソ”に向かいます(導音)。
限定進行音は説明が難しいので、とにかくこれらの音はこの曲の最も大事な音ソシレに向かう強い力がある、と思ってください。
終止には安ど感とでもいうべきものが伴います。
曲の最後は必ず終止があります。
この曲の最後をみてみましょう。
ここでもまたバスが大きく動いています。
上声はラからソにおりていますが、この場合ラは限定進行音ではないので、あがろうと思えばシにあがることもできます。(ややこしいですね)
ポイント6 反復進行
これこそバロック、バッハの音楽の大きな楽しみのひとつというべきものです。
反復進行は短いフレーズを少しづつ場所を変えて繰り返すもので、
同じメロディが何度かでてきます。
これが不思議なことに反復されるごとに、色がかわるようなこれまた絶妙な効果があります。
先ほどの終止が左上です。
その後もう一度終止があって反復進行に入ります。
バスはおまけみたいなものですが、冒頭のメロディを歌って他の声部を導きます。内声がレシソファ ミーと歌うと、上声がソミドシ ラーと模倣します。するとまた内声がミドラファ レーと続く・・・
この反復進行はやや複雑なつくりですが、ふつうもっと単純に同じ形が繰り返されます。また反復進行では掛留が多用されます。
この曲では他数か所反復進行があります。
ポイント7 保続音
同じ音が他の音に関係なく長くひきのばされる音を保続音といいます。
この保続音のうちバスに現れるものを特に”オルゲルプンクト”などといいます。
チェンバロやピアノだとやや効果が弱いですが、オルガン(オルゲル)だと絶大な効果を発揮します。
この曲にはオルゲルプンクトが二度出てきます。
反復進行がおわったあと、バスがずっとひきのばされています。
これが保続音です。
保続音の上では反復進行的動きになることが多いです。
また楽譜をみると掛留があることもわかります。
オルゲルプンクトは曲の終りに出てきて、曲を終わらせる大きな力を生み出します。
ではもう一度聴いてみましょう。
ながーい説明を読んだところでもう一度聴いてみましょう。
きっと聴こえ方が違うはずです。
Glenn Gould – Bach, Sinfona No. 11 in G mino
参考に楽譜を載せておきます。
どうでしょうか。
ちょっとポイントをおさえるだけで音楽の聴こえ方がガラリとかわると思います。
押さえたいポイントはもちろんこれだけではないので、また機会があれば書きます。
「 インベンションとシンフォニア」は上にも書いたとおり、もともと教育用に書かれたもので、無尽蔵とも思われる非常に豊かな発想をもち、弾き手聴き手の音楽的感性を洗練させます。これがこの曲集の唯一無二の価値です。
上に貼ったグールドの録音は僕は好きですが、例えばインベンションの13番など非常に極端なので、初めてきくのなら上にシンフォニアの第5番で貼ったレオンハルト版
などがよいかもしれないですね。
バッハの曲って、短調の曲の一番最後の音が長調になる曲が多いような気がしますが、バッハはこのことについて何か言及しているのかな…とひそかに思っておりました。
fuchssamaさん、なにかご存知ですか?
最後の一音で救われる感じがいかにも宗教的だなと感じています。←好きな感じです
chiipuriさん
バッハ個人がそれについて言及したかは知りませんが、短調の曲の最後、同主調のⅠ(つまり長調のⅠ)で終止することをピカルディー終止、あるいはピカルディーの三度といったりします。
前に辞典で見た記憶によると確か名前の由来はわかっていないようです。
バッハが個人的にどういう意味合いをもってこれを多用したかはここでいえることではありませんが、一般にピカルディー終止をもちいる理論的理由は一応のところあります。
和声音楽は安定から不安定、不安定から安定という道をたどりますが、最も安定した和音が主調のⅠです。
しかし短調は長調に比べて不安定なものです。(不安な感じがしますよね)
そこで最後より安定した同主(長)調のⅠに落ち着くというわけです。
こういう現象をみると主音を同じくする二つの調、例えばハ長調とハ短調、は性格は違えど(長調を主体とした)同一のものとみることもできるようです。表裏一体といってもよいかもしれません。
上に書いた理由から長調の曲の最後で短調のⅠが現れることはありません。
理論が万人の感覚にあうわけではないのでなんともいえませんが、説明の一つとしては以上のことがいえます。
僕もピカルディー終止は好きです。まさに救われる感じがします。
特にカンタータの合唱などでは効果絶大で、最後にちかづくとピカルディー終止への期待が湧きます。
丁寧にご解説下さってありがとうございます~!そのような名前がついていたのですね…!
うんうん、苦境(短調)を乗り越えた後のカタルシス効果、ありますよね。ラストが長調の音で終わるとわかっているから安心して聞ける。むしろ苦境がつづくほどに壮大なカタルシスが得られる。
昨日ちょうど、カンタータ82番「われは満ちたれり」を聞いて(映画の劇中歌の曲名をつき止め)、途中リズムのとり方が難しいっと驚いていたところでした。こんなアグレッシブなリズムをバッハがとってたことにも衝撃。それによって、情感もより揺さぶられるな~と感じました。不安で哀しみに満ちていているように感じるのにどこまでも美しい音楽だなぁと感じます。すごく人間味を感じます。