この間、例の喫茶店に行ったら、
いや、忘れていたわけではないのだが、
これまた例のTままさんの展覧会が開かれていた。
Tままさんというのは↓の記事から続くコーヒーカンタータの記事に登場するばあさんである。
喫茶店と髑髏趣味の話
こういう時間が一番良い時間
喫茶店へ行くのは勉強するためというのが主だから、まずは勉強するのであるが、
まあ大体先生は遅れてくるから、僕は先生が来るまでに、
予習復習をしたり、新聞を読んだり、
ジュスィトゥーエイーレとかオンコロコロセンダリマトウギソワカと呪文を唱えたり、もしくは窓からぼーっと外を眺めたりする。
その喫茶店の向かい側のビルの敷地に桜なんかが植えてあるが、木々の萌るのを眺めるのはなかなか面白い。
よく観察すれば、道中色々な植物をみることができる。
そのビルの敷地に植えてあるものに”かつら”という木がある。
かつらの葉は、形としては蓮の葉に近い形をしている。
そして、これは先生に教えてもらったのだが、嗅ぐとあまい匂いがする。
喫茶店内にもいつも生花が飾ってある。
大きな花瓶の木花は業者が持ってきたものだが、小さい物は常連さんが持ってきたものも多い。
僕も春になると道端に生えた草や花を喫茶店に持って行って花瓶にさしてもらう。
もしくは自分で育てた花を持っていくこともある。
先生との話にあがった花を実際に種から育てて持っていったこともある。
ヤグルマギクという花である。
これは通称ヤグルマソウということもあるが、本来ヤグルマソウはヤグルマギクとは別物である。
ヤグルマギク
ヤグルマソウ
ヤグルマギクは漢字で書くと「矢車菊」で矢車というのは”こいのぼり”のてっぺんについている”あれ”である。
ヤグルマギクは英語でcornflower、ドイツ語でKornblumeといって、もともと麦など穀物の畑に生える雑草だったよう。
ヤグルマギクはドイツの国花である。
手元のハーブの図鑑によると、ヤグルマギクの花は化粧水をつくるのにも使えるようである。試したことはない。
まあそう、こうして時間を潰しているうちに先生がやってくるわけである。
Tままさんの展覧会
勉強がおわれば、勉強といっても半分はお喋りだが、
とにかくそれが済めば、ギャラリーをみるのがいつもの決まりである。
Tままさんというのは、絵描であり、裁縫仕事をする職人であり、とにかく色々なことをする人なのであるが、それを定期的にギャラリーに運び込んで、展示する。
服はご婦人方に人気のようであるから、結構よい仕事をしているらしい。
Tままさんの展覧会にはいつも娘さんが手伝いにきている。
この娘さんというのが、これまた奇遇なのであるが、
僕がもう何年も前に友人に頼まれて乗ったオーケストラにこれまたエキストラできていたビオラ弾きの女性と同僚らしいのである。
娘さんは若く、20代後半位に見えるが、実際は30代、おそらく後半のようである。
前に勉強おわり先生と街へ徘徊しにいくところ、Tままさんに
娘が二人と食事したがっている
などというので、食事にいったことがあった。
なぜ僕たちと食事したいかというと、普段OLに囲まれて”ありふれた”つまらない話ばかりきいているから、たまには”変な人”の”変った話”をききたいというのである。
変な人・・・まあ、ありふれてはいない、アブノーマルではある。
先生と僕はかなり年が離れているから、それだけで相当おかしいはずである。
それにおよそ(昔の?)大学教員というものは身だしなみなんてものに気をつかわない人種だから、先生の格好はちょっと綺麗とはいわれない。
一方僕の格好は、まだそこまではいっていないはずである・・・
というのも僕は”こんなん”になるまで、身だしなみにも多少は気をつけていた。
しかしまあ大体哲学などをはじめたら、おしまいである。
別に哲学をやる人がすべて世捨て人、非常識的というわけではないのだが、そういう性質があるのは確かである。
僕は高校時代から、「善く生きる」だの「考える葦」だの「我思う、ゆえに我あり」だのに大いに感激し、
またウェーバーの「プロテスタンティズム精神と資本主義の精神」で扱われているカルヴァンの予定説を受験勉強に応用したりしていた。
カルヴァンの予定説というのは、救われる人はあらかじめ決まっているというものであるが、一見無慈悲なこの説の裏には実は人を動かす巨大な力がある。
この辺は面白いところである。
僕はキリスト者ではないから、実際予定説とは無縁なのであるが、これを他のことに応用できたら面白いと考えていたわけである。
死の舞踏
Tままさんが面白い物をもってきたというから見せてもらったら、
”髑髏(どくろ)”柄の着物であった。結構古いものである。
僕には髑髏趣味というのはよくわからないが、Tままさんは髑髏が好きでよく身につけている。
観察するとどうも「死の舞踏」をモチーフにした柄のようであった。
死の舞踏というのは中世ヨーロッパで”ペスト(黒死病)”が流行した頃に流行った美術の主題で以下のようなものである。
死の舞踏
日本でいえば
祇園精舎の鐘の聲、諸業無常の響あり。云々
のような人生観、死生観である。
死の舞踏といえば、サンサーンスの「死の舞踏(Danse macabre)」という曲がある。
この曲はソロバイオリンがついているが、ソロはスコルダトゥーラ(前に無伴奏の記事で書いた)で一番高い弦を半音下げた調弦をする。
冒頭ハープがD(レ)を12回鳴らし(深夜12時の意)、死者の宴が始まる。
ソロバイオリンが特徴的なソロを開放弦で弾く。
途中弦楽器が”コル・レーニョ”という特殊な奏法を用いる箇所がある。
これは弓の毛の部分ではなく木の部分を使って奏するもので、かちゃかちゃという音がする。骨の音というわけである。
最後ニワトリがコケコッコーとないて死者たちは去ってゆく
という非常に描写的な曲である。
僕はこの曲をオーケストラで弾いたことがある。
ソロではない。ソロを弾いていたのは僕の先輩でバイオリンのずば抜けて上手い人だった。
記念写真
Tままさんの娘さんが、
気に入ったものがあったら着ていいから、
などといって試着を勧めてくるが、女性用しかないので、僕は仕方なく「死の舞踏」柄の着物を羽織った。(これも女物である)
先生も奇抜で派手な柄のスカートを着せられていた。先生は爺である。
そして、Tままさんと写真をとった。
そういえばその日↓の記事で登場したFさんが、搬出がおわって最後に撮った記念写真を現像したものをわざわざ喫茶店にもってきてくれた。
写真に写る時ばかりはもう少し綺麗な格好をしていればよいと、それだけは思う。
Tままさんと変な店
Tままさんはその喫茶店に通うようになる前、別の喫茶店に通っていたそうである。
その店というのが、ちょっと変な店らしい。
生の豆をフライパンで煎ってコーヒーを淹れるらしいのだが(一応自家焙煎である)、そのコーヒーがとんでもなくまずいというのだ。
先生もその店は噂にきくだけで行ったことはなかったらしいのだが、この間Tままさんに連れられて行ったらしい。
先生のいうところ、まずい甘酒800円である。
僕はまだいったことがないのだが、そこまでまずいといわれるとむしろ気になるものだし、そこのマスターは楽器収集が趣味らしいからちょっと興味がある。集めるだけで弾きはしないようだから、うまくやって僕がもらいたいところだが、そのマスターはドケチらしいから難しいかもしれない。
ちなみにコーヒーがまずくてもいい喫茶店というのはある。
いわゆる”カフェ”とはその辺が違うかもしれない。
展覧会をみおわって帰り際、Tままさんが
最近みつけた”バー”があるから、今度展覧会が終わったらいってみよう
という。
僕はバーというものは行ったことがない。
第一僕は、先生もだが、普段お酒は飲まない。コーヒーばかりである。
Tままさんもそこに行ったのがはじめてのようで、
ちょっと高いが味はやっぱりおいしいらしい。
そこのバーはなんでも”医者”がやっている店だという。
もしかしたら”藪医者”かもしれない。
展覧会の稼ぎで奢ってくれるというし、面白そうだから行ってみようと思う。
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