前回の記事でイギリスも音楽史にちゃんと貢献していたということを書きました。
音楽史はどうしてもクラシック(古典派)につながるように語られますから、イギリスの音楽はあまりでてきませんが、
細かくみていくとイギリス音楽の影響が大きかったことがわかってきます。
今回は以前連載した、リュート、組曲、そしてバッハの無伴奏と関わる初期バロックの音楽史をみていきます。
バッハの無伴奏曲一連の記事
- 『こんなに面白い曲はない・・・バッハの無伴奏作品を聴く 』
- 『バッハ無伴奏の予習~組曲とパルティータの違いは?』
- 『現代の楽器と昔の楽器を比較してみる 古楽復興とバッハ 』
- 『バッハ無伴奏バイオリンソナタ第一番をちょっと分析してみる。』
番外編
バロック組曲の起源をみる
Donald Jay Groutの「History of Western Music」を参照しますと、
17世紀はじめの音楽で注目すべきは、ドイツにおける、ふつうふたつかそれ以上の数のヴィオール(ヴァイオリンやコルネットで代用されることもある)の合奏のための(舞曲の)組曲である、とあります。
コルネット
そして、
The stimulus for the suites seems to have come largely from English Composers living in Germany; probably it was the influence also that led the Germans to extend the technique of thematic variation ― already established in the pavane-galliard combination of the sixteenth century ー to all the dances of a suite.
とあります。(太字は僕によるもの)
つまりドイツで組曲がつくられたのはイギリスの影響が大いにあるというわけ。
そして、おそらくその影響で舞曲に主題変奏の技術が使われるようにもなったらしい。
主題変奏の技術はすでに16世紀パヴァーヌ‐ガイヤルドの組み合わせの中に確立されていたとあります。
パヴァーヌは16世紀のイタリア起源の宮廷舞曲で、ふつうゆっくりした二拍子。
ガイヤルドもイタリア起源のもので、三拍子の速い曲。
当時のドイツではこのように二拍子の遅い舞曲と三拍子の速い舞曲を組み合わせることが流行っていて、これをTanz und Nachtanz (dance and afterdance 舞曲と後奏舞曲)とよびます。
そのうちもっとも一般的なのがパヴァーヌとガイヤルドです。
これが後に組曲に発展していきます。
組曲の原型
そのころ(17世紀はじめ)の舞曲で重要なのが、J.H.Schein(シャイン, 1586-1630)の「Banchetto musicale」という五部に分かれた二十の組曲で、1617年にライプツィヒで出版されています。
シャインの肖像 かなり怪しい・・・
それぞれの組曲はパヴァーヌ、ガイヤルド、クーラント、アルマンド(トリプラ附き)から成っています。
トリプラというのはアルマンドを3拍子で変奏するものです。
ではちょっとシャインの曲をきいてみましょう。
ヴィオラ・ダ・ガンバ(ヴィオール)による演奏
やっぱりバッハのものと比べると、原始的というか、踊りの要素が相当強いですよね。
フランスのリュートと鍵盤音楽
小曲のたんなる連なりではなく、「複数の楽章をもつ、ひとつの曲としての組曲」という概念をつくりあげたのはドイツの功績でした。
またグラウトの西洋音楽史に戻りますと、
In France, the great achievement of the early and middle seventeenth century was to establish a characteristic idiom and style for the individual dances.
とあります。
フランスでは、17世紀のはじめから中ごろにかけて、個々の踊りの性格を確立したというわけです。
また、この功績はフランスの組曲が合奏のためではなく独奏のためにかかれたことによるとあります。
独奏というのはつまり、リュート(初期)、クラヴサン(チェンバロ、後期)のこと
リュートの繁栄
リュートは16世紀後半に現代のピアノのような家庭用楽器として広まり、器楽の発展に
重要な役割を果たしました。
リュートの音楽は「タブラチュア」という特別な記譜法で表されます。
日本でもギター用の楽譜を”タブ譜”といいますが、あれがタブラチュアです。
ギター用タブラチュア(下段)
17世紀初期にフランスで栄えたリュート音楽はDenis Gaultier(ドゥニ・ゴーティエ, 1600-72)で頂点に達します。
「Le Rhétorique des dieux(神の修辞)」という十二の組曲からなる作品は、
それぞれ、アルマンド、クーラント、サラバンド、適当に選ばれた他の舞曲という形をとります。これらは夢想的副題をもった、名小曲集といった体裁をもっています。
では、曲をきいてみましょう。
まず上に書いた16世紀のリュート音楽を聴いてみます。
この曲はDer Prinzen-Tanz (the prince-dance 王侯の舞曲)といって、proportz (プロポルツ、比例)という変奏がついています。これは前半の二拍子の曲を後半三拍子でリズム変奏するということを表します。
リズム変奏というのは・・・ちょっと説明が難しいですが、同じ内容を引きのばしつつ少し変えて演奏するといったようなこと。
ではゴーティエを聴きます。
(一曲目はパヴァーヌのようです)
リュート音楽とチェンバロ
そして、面白いことが書いてあります。
Since the lute was incapable of sustained tone, it was necessary to sketch in the melody, bass, and harmony by sounding the appropriate tones now in one register, now in another, leaving it to the imagination of the hearer to supply the implied continuity of the various lines… This was the style brisé or broken style which other French composers adapted to the harpsichord, together with certain features of variation technique derived from the English virginalists;~
リュートの音は長く伸びないので、メロディ、バス、そして和声がうまくつながるよう適宜置いていき、それには聴者の、わかりやすくいえば、記憶を利用するというわけです。
これをフランスの作曲家はチェンバロに応用するわけですが、これをスティル・ブリゼもしくはブロークン・スタイル(ばらばら様式とでもいいましょうか)と呼びます。
これがまさに前の記事に書いた”リュート曲がバッハに無伴奏を書かせた”というところに繋がる部分でしょう。
そしてこの”ばらばら様式”が実際バッハの無伴奏に現れているわけです。
そして、変奏のテクニックをまたまたイギリスのヴァ―ジナリストから学んだと書いてあります。
どうやらこのころのイギリスはこの分野では先進のようですね。
彼らは(音の)”(小さな)装飾(agréments)”の発展にも一役買ったようです。
クラヴサン(チェンバロ)の音楽
こうしてリュート音楽は鍵盤楽器の発展の源となり、またそれだけに留まらず、フランス音楽の様式全般を発展させることになりました。
この時期のクラヴサン曲を聴いてみます。
Jacques Champion de Chambonniéres(ジャック・シャンピオン・ド・シャンボニエール、1602-72)
鍵盤楽器曲の新たな手法を生み出しました。
Louis Couperin(ルイ・クープラン、1626-61)
有名なクープランの伯父
ガイヤルドが含まれる組曲もみられます。
(ジャンアンリ・ダングルベール、1628-91)
ガイヤルドがみられます。
これはかなりバッハの組曲に近づいていますね。
メヌエット、シャコンヌがついています。
クラヴサニストの曲を少し聴いてみましたが、フランスではもうすでにかなり体裁を整えていたことがわかります。
ではドイツにはどのように伝わったのでしょうか。
フローベルガーの功績
フランスに起こった鍵盤楽器のための新たな様式はJ.J.Froberger (フローベルガー、1616-1667)によってドイツにもたらされます。
フローベルガーは1625年から1650年ころの間に鍵盤楽器の達人としてヨーロッパ中をめぐりました。
フランス・パリにいった時、現地の優れたリュート音楽家や、リュート音楽の流れをひくクラヴサニストから影響をうけます。
フローベルガーは
アルマンド、クーラント、サラバンド
を組曲の基本的な要素として確立しました。
フローベルガーの手稿では曲はサラバンド、つまりゆったりとした曲で終わっていますが、彼の死後の1693年の出版ではジーグ(快活な速い曲)が付け加えられています。
では彼のクラヴィコードのための組曲を聴いてみます。(クラヴィコードはチェンバロと別の鍵盤楽器)
フローベルガーのこういう類の組曲にはリュート音楽の特徴がみられます。
- 声部が随意に増減し一定しない
- 終止の和音が分散和音である
- 種々の装飾音
また同じ主題が各曲に使われるようで、これが例の主題変奏というものでしょうか。
またフローベルガーの曲のうちには舞曲の特徴が他のジャンルの曲に入り込んだものもあります。
例にlament(ラメント)を聴いてみます。
この曲はアルマンドのリズムパターンが使われています。
この曲は仕えていたフェルディナント3世が没したときにつくられたもので、ヨーロッパを回ったのも宮廷の外交官としてだったようです。
フローベルガーの後、サラバンドとジーグの間に他の舞曲が挿入され、冒頭に前奏曲がおかれるようになります。
つまりバッハの組曲の形になるわけです。
終りに
だいたいバロックのはじめから中ごろにかけての組曲の推移をみてきました。
なんだかこうみていくと、組曲の輪郭がはっきりするというか、わからなかった正体がわかりますね。
できればその当時の時代背景をもう少しみたかったのですが、話がドイツ、フランス、またイギリスにもわたっているのでちょっと困難です。
絶対王政とか、宗教改革、宗教戦争等みていくと音楽やその他のものとの繋がりが見えてきて面白いと思うのですが・・・
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