I先生には美術家の知り合いがたくさんある。
美術家というと大仰だが、
普通美術や美術鑑賞などといって思い浮かべるであろう、巨大な美術館の大展覧会などとは全く異なる性質の、社会の前面にでない所で活動している美術家はたくさんいる。
そういう美術家の大部分は”貸ギャラリー”を借りて、展覧会を開く。
貸ギャラリーなどというものを知らない人もいるかもしれない。
しかし実は画廊は街のいたるところにあって、知っている人は知っている。
休日にやることがないとか、暇だとかいう人にギャラリー巡りはおすすめの趣味だから、まあどんなものかちょっと話を聴いてみてほしい。
ギャラリーの話
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- 『僕がギャラリーで出くわした珍事。』
ギャラリーを巡る話
僕がギャラリーを知ったのは、
いつか書いたことのある喫茶店に通い始めてからで、
というのもその喫茶店はギャラリーが併設されている。
ギャラリーに注目していなければ、気がつかないかもしれないが、ギャラリーが併設されている喫茶店というのも可なり多い。
僕は喫茶店に通い始めて、先生とともに、その喫茶店のギャラリーだけでなく街のいくつかのギャラリーをまわるようになった。
懐かしい思い出はたくさんあるが、今回は一番最近の出来事を話したい。
Fさん
ひと月ほど前のこと、先生は僕にこういった。
「来月の〇日からFさんの展覧会があるんですが、その搬入を手伝ってください。
搬入というのは作品をギャラリー内に運び入れること。
Fさんというのは、僕も以前一度あったことのある方で先生と親しい版画家である。
話だけはよくきいていた。
実は面白いことがあるのだが、僕のピアノの先生の知り合いで音楽サロンなんかを経営している、これまたFという名のソプラノ歌手がいる。
僕はたまにその音楽サロンに顔を出しているのだが、版画家のFさんは歌手のFさんと知りあいらしい。知り合いが妙に繋がるというのもよくある話である。
僕は展覧会の片づけはちょっと手伝ったことがあったが、搬入は初めてで、しかも今度のはかなり大きな展覧会になるらしい。
僕は先生のいうことはなんでもきくから、もちろん手伝いに行くわけである。
搬入の日
搬入の日は夕方から作業があった。
それまで展覧会を開いていた別のグループが搬出するのと同時進行で搬入作業を進めていく。
大型のトラック一杯につみこまれた版画を、一つずつ運びこむ。
版画だけでなく、絵や彫刻もあった。
ギャラリーは二階と三階で、絵の中には百号(縦170センチ弱)もあるからなかなか大変な作業である。
額に入った版画や絵を箱から取り出して、壁にワイヤーでつるしていく。
殆どのものがワイヤー一本で宙づりになっていて、画面を揃えて、まっすぐに保つのは実に感覚的な作業であった。
ただ見に行くだけでは気にかけないが、絵を整然と並ばせるのは大変な作業である。
ギャラリーや美術館に行く機会があれば、作品がどう展示されているかというのをちょっと気にかけてみると面白い。
搬入の作業は10人程で行われたが、それでも作業がおわるまでに時間一杯かかった。
最後に軽食が配られて、搬入は終了である。
弓より重たい物を久しぶりにもって、いい運動になった。
と、この展覧会に関わることも搬入で最後かと思いきや、今度もちゃんとうまいこと話が繋がるのである。
先生からの電話
僕が先生に勉強をみてもらう日、
その日は宿題、といっても自分で勝手に設定しているものだが、
とにかくそれが終わっていなかった。
僕は出来るところまで進めようと、普段は約束の時間より1時間ほど早くつくように向かうのだが、時間ぎりぎりまで勉強していた。
すると携帯電話がなった。先生からである。
「まだ家ですか。今日はギャラリーにきてください。」
事情はわからないが、とにかくギャラリーに来いというのだから、ギャラリーに向かった。まだギャラリーはFさんの展覧会の期間中である。
ギャラリーでお勉強
ギャラリーについて先生に話をきくと、午前中のギャラリーの番がいないから、その番を頼まれてしていたのであるが、午後の番がいくらまってもこない、だから午後も番をすることになった、ということである。
仕方ないので、ギャラリーないにある椅子に座って、勉強をみてもらった。
・・・結局宿題は終わっていなかったが、その場で少しやった。
例えばこんな問題である。
ラヂオは二十世紀の最も祝福多き發明の一つであるが、これによつて、今でさへむしろ餘りにも神經過敏な國際心理が今後益々ヒステリカルになつて行きはしまいか?
これを独作するわけである。
ちょっと難しい。
僕は苦心して訳す。
Wird eine schon jetzt durchaus überspannte internationale Mentalität sich durch einen Rundfunk, der die segensreiche Erfindung des zwanzigsten Jahrhundert ist, Künftighin nicht hysterisch gestalten?
これを会場でペラペラと発音する。
展覧会場がドイツ語教室と化す。
ギャラリーというのは概して音が響くから、声がよく通って気持ちがよい。
ドイツ語は前にも言った通り響きのよい言葉であるからなおさらである。
そういえば、日本人は足を引きずって歩く人が多いから、外国の、例えばルーブルなんかでは非常に迷惑がられるらしい。
日本人女性のグループが足をずって歩いてくると、
「また日本人がきた」
と現地の人はいらいらとする。
もっとも、最近は中国の観光客が増えているだろうから、怒りの矛先が中国人に向けられているかもしれない。
足をひきずってあるくのは、歩き方としてもよくないし、結構大きい音をたててしまうから、心当たりのある人は気をつけたほうがいい。とくに美術館では。
ギャラリーというのは、美術館ほど神経質でないから、多少お喋りするくらいは問題が無い。というか、展示している方もよくお喋りしている。
僕が、ドイツ語を発音していると、Fさんの奥さんがコーヒーを淹れてもってきてくれた。
コーヒーはギャラリーでも大いに活躍する。
Fさんの奥さんは、僕のフラクトゥーアとドイツ語の発音に興味があるらしかった。
僕は古いドイツ語を話す時は、古臭い発音をするから、フラクトゥーアと合わせて可なり(よくいえば)風格がでるのだ。
(フラクトゥーアについては以下参照)
奥さんとドイツ語やなにかについて、お喋りしていると、
Fさんがやってきた。
「ちょっと、降りてきてほしい。」
勉強していたのは3階だったから、僕と先生は言われた通りに、ニ階へ向かう。
ニ階へ行くと一番大きい部屋へ通された。
大きな部屋に椅子がいくつか並べてあって、すでに数人座っている。
どうやらこれから、なにかが始まるらしい・・・
ギャラリーで、作品の展示以外に催しがあるというのは、頻繁にではないがたまにあることである。
しかし、今度のものは僕の想像を超えるものだったのである。
続く
なんだか物語の中の人のお話みたいで、すごく好きです!楽しみにしてます!
ますもとさん
ありがとうございます。
ますもとさんの話もなかなか現実離れしていていますよね。