僕はおばさまに頼まれてコーヒーカンタータの翻訳に取組むことになったのでした。
ところで、僕の周りにはキャラクターの強い人々が多い。(学者やら音楽家やら美術家やら)
そういう人たちにブログ上でもはっきり識別できるような、よい名前をつけたいところなのですが、ちょっと難しい。
まあとりあえずアルファベットなんかで表しておきます。
歌詞の翻訳と誤訳について
コーヒーカンタータ一連の記事
- 『コーヒーと音楽の話 (バッハのコーヒー・カンタータを聴く)』
- 『【動画付・コーヒーカンタータ】コーヒー依存症の娘と父親の真剣勝負!果たして勝つのは?』
- 『コーヒーまみれの生活(コーヒーカンタータの歌詞の翻訳とネット上の誤訳)』←今ここ
番外編
上の記事に書いたとおり、僕はおばさま(以下Tままさん)に頼まれてコーヒーカンタータの翻訳をすることになったのですが、
まず原詩の正確な形をつかむのに苦労しました。
僕は歌詞をもっていなかったのでとりあえずインターネット上で情報収集をしたのですが、それぞれ細かいところが違っているので、比較検討して、また新正書法(ドイツはちょっと前に綴りの方法が変わりました)の部分を古い書き方に変えたりして、なるべく昔の形になるようにしました。
そうして、上の記事で10曲中4曲を翻訳して、残りをどうにかしようとしたのですが、まずコンピュータ上から紙に印刷した状態にするのに、綴りに間違いがないかチェックしたりなんだりしなければならなく、それに可なりの時間を費やしました。
そしてTままさんに報告する前日となった段階で翻訳は大して進まず、もう一曲を訳したところで、力尽きて、
ねむいねむいねむい
いや、訳さないと・・・
いや、でも明日早起きしてやったほうがいいんじゃないかなあ
うん、そうしよう
だって眠いから・・・
と絶対に失敗するパターンのやつに陥って眠りについたのでした。
ああ。なんて珈琲は甘いの。
僕の通う喫茶店Iは家から自転車で30分くらいかかります。
僕は自転車で長距離移動をすることが多く、所謂ママチャリではきついので、そのためだけにロードバイクを買いました。
あくまで移動の手段として買ったので、特別に好き、というわけでもないのですが、乗るようになってからはなんとなく愛着が湧いて大事にしています。
ただ僕は”雨男”で、遠出するときは雨が多く、その日も雨でした。
喫茶店へ
結局翻訳は終わりませんでしたが、ドイツ語の原詩と半分しかできていない翻訳を携えて喫茶店へ。雨の日はバスを使います。
別に今までも、その日もTままさんとは待ち合わせているわけではありません。
僕が待ち合わせているのは、語学の先生(I先生)で、Tままさんとは”たまたま居合わせる”わけ。
その日もまた待ち合わせているわけでもないし、コーヒーカンタータの翻訳を持っていくなどと事前に通告しているわけでもないのですが、その辺は僕と先生とその周りの慣習みたいなもので、予定を固めるというようなことはしません。
だいたいの習慣的動きはあるけれど、必ずそれにしたがうわけでもない。
それでもうまくいくもので、というかそれだからうまくいくということもあるのですが、その日も”偶然”Tままさんと会うことができました。
コーヒー・カンタータとドイツ語
僕はTままさんに原詩はもってきたが、翻訳が半分ほどしかできていない、ということを伝えて、
一応その成果を読んでもらいます。
それでその半端な結果の代わりに、その場で詩の意味を少し講義することになりました。
Tままさんはドイツ語が全くできません。
僕はドイツ語でペラペラと発音して、そのドイツ語の意味を大雑把にではありますが、説明していきました。
文章には、特に詩はそうですが、
文そのままの意味がわかっても意味がわからないことがあります。
例えば、文一つ取り出してそれだけ読んだ時の意味と、詩の中、文の連続の中にあるのとでは意味が変わってくることがある。
この辺が難しいところで、また面白いところ。
半分位の説明が終わったところで、喫茶店の閉店時間がきて、退席しなければならなくなりました。
Tままさんはどうやら全体の訳を踏まえたいらしく、どこかで続きをやりたいという。
それで僕たちは、喫茶店Iから最寄りの喫茶店Mへ
まさかの喫茶店のはしご。
まあまさかのとはいっても僕たちの間ではよくあること
そこでTままさんは
コーヒーは私がおごるわ
といってごちそうしてくれました。
そう、コーヒーカンタータの翻訳の報酬は”コーヒー”でした。
前にも書きましたが、僕はそんなにコーヒーが得意ではありません。
喫茶店のはしごはなかなかつらいものがある・・・
それならコーヒー以外を頼めばいいじゃないか、と思われるかもしれませんが、喫茶店というのはだいたいコーヒーに一番力を入れています。紅茶なんかはいい加減に済ましてあるうことが多い。
つまり僕にコーヒーを強制するのは費用対効果のあれです。
そこでざっと全体の説明を終えたのですが、Tままさんはその内容が随分面白かったらしく、満足そうでした。
確かに訳してみて思ったが、コーヒーカンタータは抜群に面白い。
それにTままさんはそれでドイツ語に対しても興味が湧いたらしく
ドイツ語やってみようか
などといっていました。
完全な翻訳は持っていけませんでしたけれど、説明を面白がってきいてくれて、満足して、さらにドイツ語にまで興味を持ったとなれば、さすがにやった甲斐があったといえそうです。
ドイツ語というのは非常に綺麗な音を持った言葉で、実際それがドイツ音楽の基礎になっている、ということをギリシャのある音楽学者がいっていました。
歌詞と翻訳
多くの人は外国語の歌を聴くとき、日本語に訳されたものをみるでしょうが、
今回コーヒー・カンタータを訳してみて、感じたのですが、
ネット上の翻訳は、まあ全部とはいいませんが、酷いものが多い。
I先生も歌手のMさんに頼まれて一緒にシャンソンの歌詞を訳すことが多いそうなのですが、専門家が訳したものでも酷いものがある、といっていました。
専門家が訳したものが酷いなら専門家でない人にはどうしようもなくそれを受け入れるしかないのですが、
僕がネット上でみたいくつかのコーヒー・カンタータの訳もちょっと酷くて、
酷いというのはなんでしょうね、原詩の持っている品とか、香りというのが再現されていないものが多く、さらに明らかな誤訳もありました。
例えば
Hat man nicht mit seinen Kindern
Hunderttausend Hudelei.
というところは噛み砕くと「子供には手をかけるものだ」というような意味になるのですが、直訳で、しかも全く逆に訳しているものがありました。
こういう文章はだいたい直訳しても読む方には意味が伝わらない。
しょうがないこととはいえ、そういう訳を真意と思って音楽を聴くのは、もったいないことです。
Tままさんと別れて
I先生はその日誰かに呼び出されていたらしく、
詩の全体の意味を見たあたりでその日は、お開きに。
時間があったらついてきてください
というので、一緒に地下鉄に乗って目的地へ。
電車を降りて、待ち構えていたのは、
まさかのドイツ人でした・・・
続く
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