こんにちは、最近は気持ちの良い天気が続くようで心も晴れるようです。
僕はこういう気持ちの晴れやかなときはモーツァルトを聴きます。
そして悲しいときもモーツァルトを聴く。
寝る時もモーツァルトをかけながら寝、モーツァルトで起きる。
つまりいつでもどんなときでもモーツァルトを聴いているわけで、改めて考えると相当モーツァルトが好きなようです。
ただこれは僕に限ったことではないのです。
モーツァルトのピアノソナタ第二番を聴く
世界中にどれだけモーツァルトのファンがいるでしょう。またモーツァルトがこの世に誕生してから今までどれだけの人がモーツァルトを愛したか。
モーツァルト自身の人生は後から見ればそんなに幸福とはいえません。ただこんなに人生を幸福にする人は他にいないでしょう。
モーツァルトがいなかったら?モーツァルトの音楽がなかったら?ちょっと想像もしたくない世界です。
モーツァルトは明るいだけ?
モーツァルトの作品は長調の作品が短調の作品より圧倒的に多いことはよく知られていますが、それもあってか、
モーツァルトの音楽はただただ底なしの明るさによって満たされているだけ
と早合点している人が大勢いるようで、ファンにとっては手を合わせたくなるような存在である一方、わからない人にとってはなにがよいのかよくわからない、というのがモーツァルトらしい・・・
モーツァルトの音楽で明るさや楽しみ以外の要素が膨大に膨れ上がってくるのは後年になってからですが、
感情的要素を重要視するならば、演奏も後年の作品に限られそうですが、モーツァルトの音楽はかなり若い時のものも頻繁に演奏されます。
こういう作曲家はあまりいない。
つまり、モーツァルトの音楽にはそういう感情的要素を除いてもべらぼうに面白い何かがある。
モーツァルトの音楽は面白い。
今回はそういうモーツァルトの音楽の面白いところがわかる、それも極端な曲を聴いてみます。
モーツァルト作曲 ピアノソナタ第二番ヘ長調から第一楽章
この曲は1775年まだ十代のモーツァルトがつくった曲です。
ソナタがわからないという方は以下等を参照
ソナタ形式がわかればクラシック音楽は格段に面白くなる!(ソナタ形式の解説)
拍子と音符について
曲を聴く前に少し”拍子”について話しておかねばなりません。
拍子のことは楽器をやっていないとしっくりこないことなのですが、西洋音楽では
時間を一定の長さに区切って、それが繰り返されるうちに音楽がつくられる
という伝統があるのですが、その繰り返し(小節)をつくるのが拍子です。
つまり、四拍子なら手を四つ打って一つの塊になるわけです。
そしてもう一つ重要なことに使われる音符の”単位”というべきものがあるのですが、例えば、四分の四拍子では”四拍子”の部分は拍子を表し、一小節内に四つ打たれるということを意味します。そして”四分の”はその打たれる音符の種類を表し、”四分(しぶ)音符”が単位になるという意味。
この曲は四分の三拍子なので
四分音符を単位として三拍子がつくられる
ということになります。
そして注目してほしいのが上図、三段目左の3連符と書いてあるところ。西洋音楽では基本的に一番上の如く音符を”2で割っていく”ことによって音楽をつくるわけですが、その偶数の世界に”3”を突っ込むことがあります。これが三連符で、この曲では
四分音符に三連譜を突っ込むところが非常に多いのです。
もちろん八分音符や十六分音符もでてくる。
聴きどころはここです。
三連符というのはザラにでてくるものですが、こういう使い方は普通じゃない。
なんというか脈絡がない。
しかしこれをいかにも当たり前の如くやってのける、これがモーツァルトなのです。
では実際に聴いてみましょう。
演奏は内田光子さん
Mozart- Piano Sonata in F major, K. 280- 1st mov. Allegro assai
この曲のおもしろさがよくわかるような素晴らしい演奏です。
展開部に入ってタン、タタン、タタンという附点のリズムまででてきてもうめちゃくちゃという感じです。
めちゃくちゃだが、面白い
この辺はバランス感覚とでもいうのか、凡人が作ったらちぐはぐ、木に竹を接いだようになりそうなところですが、モーツァルトならではの神業です。
内田光子さんの演奏はモーツァルトの神妙さがこれでもかとでるような、流麗で繊細な演奏です。
モーツァルトの”面白さ”わかっていただけたでしょうか。
三連符がわからないとちょっと何をいっているかわからないかもしれませんが、聴いているうちにわかるようになります。
注意して聴けば、音が塊をなしていることに気がつけると思います。その塊が三つになったり四つになったりするわけです。
では今回はこのへんで
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